
ダバダぁ~♪と言えば、あのテレビCMを思い出す諸兄も多いだろう。かつて喫茶店で飲むものだった珈琲が、スプーン一杯とお湯だけで出来るなんて、誰が想像しただろうか。大阪万博のあった昭和45年から一連のコマーシャルで爆発的にヒットし、「ネスカフェ」の名はインスタントコーヒーの代名詞になった。その歴史はさらに古く、開発のきっかけは百年前に遡る。当時のブラジルでコーヒー豆が大豊作となり価格が暴落、農民たちが困窮した。政府が余った豆をどうにか活用できないかとネスレ社に頼み、試行錯誤の末、現在とほぼ同じインスタントコーヒーが1937年に誕生した。以来、世界中の家庭に広まってきた。
ところが此処ハワイでは同じ時期、価格暴落によって栽培が軌道に乗っていたコーヒー農園が放棄されてしまう。その見放された原木を守ったのは移民として入植した日本人だった。こちらは遡ること200年前、ハワイ王国だった頃、カメハメハ二世夫妻に随行していたオアフ島のボキ首長が、帰国途中にリオ・デ・ジャネイロから苗木を持ち帰ったのが最初だという。始めは観賞用として育てられていたが、1828年、牧師がハワイ島のキャプテン・クック地区で本格的に栽培を始めたのがコナ・コーヒーなのだ。今も日本人の名を冠した農園が多く、収穫場を「Kuriba(繰り場)」、乾燥棚を「Hoshi-dana(干し棚)」と呼ぶのも、その頃の名残りだという。
コーヒーの起源は9世紀のエチオピア、山羊飼いのカルディの逸話に遡る。飼っていた山羊たちが赤い実を食べてやたらと飛び跳ねているのを見て、試しに自分もかじってみた。すると、なんだかハイな気分になったという。彼はこの実を修道院へ持ち込んだが、僧侶たちは「これは怪しい」と火にくべてしまった。ところが、そこから立ち上る香ばしい香りに惹かれ、焼けた豆を集めて煮出してみると芳醇な味わいの飲み物になった。驚いて夜の儀式中の修道僧たちにも飲ませてみると、居眠りもせずに勤行に励むことができた。今ではKALDIの名を冠したコーヒーショップやカフェが 世界中にあり、エチオピア原産のアラビカ種は生産の8割近くを占める。
そもそも僕とコーヒーの出会いは50年前、幼い頃に決まって連れて行かれた喫茶「エビアン」だ。店の奥でポコポコと沸き立つサイホン、その中でゆっくりと琥珀色に変わる液体が分厚いカップに注がれ、父がうまそうに飲んでいた。店内は煙草とコーヒーが入り混じった香りが漂い、カウンター越しに、いくつものサイホンを操るマスターがいた。壁には古びたカレンダーの画を額に入れただけの素朴な装飾、ヘリンボーンの木の床、小さなテーブルと椅子が並んでいた。休憩時間にちょっと一杯、そんな大人の時間に憧れていたのかもしれない。高校生になった頃、駅前の「にしむら珈琲店」の自家焙煎した豆を挽いてもらい、自宅で喫茶店の味を再現した。ネルドリップにお湯を注ぐと、ふわりと香るその匂いに、なんとなく大人になったような気がした。地元を離れる際、仲間が贈ってくれたのは、サイホンだった。ずいぶん長く、それを愛用していたのが懐かしい。
それが25年ほど前、ヨーロッパに住むようになってから、好みが一変した。僕はエスプレッソに目覚めた。黒光りした油分の染み出た豆を高圧蒸気で一気に抽出するその一杯は濃厚で、どこまでも深い風味を持つ。食後に欠かせない一杯となりデミタスカップを傾けるのが日常になった。ホルダーにぎっしりと詰めた深煎りの粉に高圧蒸気を通さないと、あの黄金色のクレマは現れない。直火のマキネッタで淹れるモカとは一線を画す味わいだ。そんな本格的なエスプレッソも、「ネスプレッソ」の登場で身近に楽しめるようになり、今ではキッチンの片隅にマシンが鎮座している。こちらもネスレ社の努力に脱帽だ。
珈琲の起源は千年前、ハワイへ二百年前に伝わりインスタントコーヒーは百年前に生まれた。そして僕は半世紀前からサイホンで嗜み、エスプレッソに目覚めて四半世紀が経つ。今日は、ビッグアイランドの農園焙煎してきた豆をグラインダーで挽いて、サイホンで淹れた一杯を、娘が焼いた茶碗で戴こう。今、この目の前の一杯に、なんだかとてつもなく長い時間をかけて辿りついたような気がするのダバダぁ~。