
それは突然のオフグリッド生活だった。豪雨による洪水、停電、さらには浸水、断水、ガスの遮断と、次々とライフラインが途絶えた。これが三日間続いた。いつもの停電なら数時間で復旧するだろうと高を括っていたが、丸一日経った頃から冷蔵庫の食材がダメになるのではと不安になった。翌日には水は引いたものの、ポンプが動かないことには断水が続き、ガス会社が開栓するまで安全弁は遮断されたままだった。WiFiも携帯も繋がらず、停電復旧の目処すらわからない。焦ったところで何も変わらない。とりあえず職場から発電機を借り、冷蔵庫を稼働させ、フロアランプに接続して明かりを確保、携帯も充電した。カセットコンロで湯を沸かし、カップ麺で急場を凌いだ。そんな中、隣人は冠水した道路でカヌーを漕ぎ、四駆車でウェークボードを楽しんでいる。解凍してしまった肉の塊は、どうせ捨てるくらいならと炭を熾してバーベキューとなり、近所の人々がガレージの軒下に集まって即席のパーティーが始まった。先の見えない不安よりも、今の非日常を楽しむ姿には感服する。復旧にはもう一日かかったが、デジタルデトックスの良い経験になった。
そんな混乱の中、心に浮かんだのはカリフォルニアでの最近の家族の集まりだった。デジタル時代とはいえ、直接顔を合わせられる時間は何物にも代えがたい。家族は僕の好物をよく知っている。ニューヨークスタイルのLOX、クリームチーズを塗ったベーグルにスモークサーモン、スライスした玉ねぎとケーパーをのせたあの味だ。今回は息子がホストになり、検索した評判の良いベーグル屋へ行くことになった。ナビの言う通りにモールの駐車場に着いたが、それらしい店が見当たらない。半信半疑で看板のない店のドアを開けると、そこが目的地のベーグル屋だった。店内に入ると、目まぐるしく動くスタッフたちの手際の良さに目を奪われた。ビジネスは常にスピードと効率が求められる。アルゴリズムから仕入れを予想し、客は入店と同時にメニューをQRコードで読み、オーダーは厨房へまっしぐら、席へ付き暫くすると携帯へメッセージが届き、カウンターで受け取ると決済完了、デジタルがなければ、この店の存在すら知らなかっただろう。LOXを一口頬張る。その味は、良い素材を使い丁寧に作られたことがすぐにわかる。これは間違いなく“当たり”だ。まるで高い空から狙いを定める鷹のように、デジタルは冷静かつ正確だ。カリフォルニアでは、効率よく仕事を進める考え方が主流で、物事を素早く動かすことで利益を増やす仕組みが浸透している。スマホ片手に注文し、待つ間も画面を見つめる人々。便利さの象徴だが、その光景にはどこか味気なさを感じた 。
ハワイに戻り、人気のパン屋で焼き上がりの香りにつられて行列に並んだ。聞き耳を立てていると、自分の番までに売切れてしまわないよう知らない人どうしが探りを入れている。それに常連客はレジ係に一言二言、その日の出来事を話しているから列が一向に進まない。僕の直前で欲しかったエピは売り切れ、代わりにバゲットを買った。アナログは非効率極まりない。しかし、それを苛立つこともなく日常と捉え、対面で感じる人の温かさや心の余裕が必要なのか。
難読苗字の「小鳥遊」を思い出す。鷹がいないと小鳥たちは自由に遊ぶことができるから「たかなし」と読む。ハワイには鷹が居ない。まさに小鳥にとっての楽園、水道メーターの下でじっとしているニワトリが居たと思えば、気がつけばヒヨコがよちよちと歩き始め、ガレージの隅ではキジバトが巣作りしている。オフグリッドの混乱を経て、考える。本当の豊かさとは何だろう?
謎かけをひとつ。デジタルの精密さとかけて鷹の鋭さと解く。その心は、「狙いを定め、無駄なく仕留める」。でも、鷹がいなければ、小鳥たちは自由に遊べる。転じてデジタルは無駄を削ぎ落とし、アナログは遠回りを楽しむとも言えよう。どちらも大事。たまには「たかなし(高なし≒成果がない)」でも、肩の力を抜くのもいいのかも。
そうか、ここは “たかなし”な 暮らし なんだ。筆者であるTAKAが思うのだから間違いない。