vol. 23 「焼肉じゃない、バーベキューだ!」

牛の肩ロースとサーロインの間にあるのがリブアイ。骨ごと切り出すと インディアンの大きな戦斧、トマホークに似ている。

 大海の孤島で「もう一生会えないかも知れない」と老婆に言われたら、そそくさと辞するわけにはいかず翌朝のフライトまで滞在することになった。ポルトガルの首都リスボンから南西へ1000km、大西洋上の火山島マデイラ島を訪れた20年も前の話だ。その日は、フンシャルから車で半日ほどかけて島の反対側まで向かい、長年の取引先を訪れた時のことだった。留守番をしていた年老いた母親を相手に話が弾み、危うく帰りのフライトに間に合わない。ここは見切りを付けて去ろうとするが、せめて息子が戻るまで待ってくれとせがまれた。時を過ごす中、連絡が取れた息子が戻るには数時間かかると言うので仕方なく延泊の手配を取った。それを悪く思ってか、今夜はウチで食事をしていってくれと懐っこい。再訪を約束して、ひとまず宿へ引き揚げた。数時間後に戻ってみると、自宅にはたくさんの人が集まっている。何事かと聞いたら、折角、来てくれたのだから、皆を呼んだという。僕のことを買い被ってか偉い人が来てくれたと信じて疑わない。そこで振舞われたのが豚の丸焼きとマデイラワインだった。ほんの数時間の間に、息子が近所の人を集め、豚を絞めて準備をしてくれ、総出で歓待してくれた。ローストチキンなら未だしも、豚を一頭丸焼きにする豪快さに度肝を貫かれ、夜更けまで飲み明かしたことを思い出す。

 ハワイ語で土地の境界をアフ プアア(Ahupuaʻa)という。石を積み上げた石垣= アフ(ahu)に 豚 = プアア(puaʻa)が置かれたことから、そういう名になった。首長が豚を税として徴収する際、土地の境界に置かせたことに由来するらしい。そもそも豚は神へのお供え物として扱われ、祝宴や宗教儀式に食す特別な食べ物だった。今では蒸し焼きにされた豚肉料理、カルア プアア(Kālua puaʻa)は人気の郷土料理のひとつになっている。似たような話は、沖縄にもある。琉球王国に招かれた冊封使節団(中国からの客人)は豚肉で持て成された。その使節団は数百人の規模で数か月滞在されたとされ、食糧を賄うため養豚が盛んになったことが今日の沖縄の豚食文化にも繋がるらしい。ハワイでは沖縄からの移民家系はOkinawanと呼ばれ結束が強い。戦後間もない頃、疲弊した沖縄を救うため「生きた豚」を送った人たちが居た。戦災復興させるには食糧支援も大切だが、生きた豚は養豚業の復興に繋がり、糞尿は肥料として畑に撒かれ主食である芋を育てることが食糧難の解消と産業振興に役立った。Okinawanの人たちは資金を募り、米陸軍の輸送船で五百頭余りの生きた豚が海を渡った。循環型産業は5年ほどで10万頭の畜産へ化けたという。

 フランス語で「あごひげから尾っぽまで」を意味するde la Barbe à la Queueは、スペイン語ではBarbacoa、英語ではBarbequeとなり、今日のB-B-Q(バーベキュー)へと繋がる。もともと髭と尾のある動物は鳴き声以外全てを食す意味から丸焼きしたのが由来といえば分かりやすい。慶事があると豚の丸焼きを食す文化圏は世界に広がる。ポルトガルのレイタォン(Leitão)をはじめフィリピンのレチョン(Lechon)、ベトナムのヘォ クァイ(Heo quay)、かつてのハワイ王国も琉球王国もそうだった。

 出会って四十年来の友人が来島した。私が訪日した際は精肉店が営む地元で一番の焼肉屋で饗応を受けた。鉄板や焼網で薄く切った肉を焼きながら食べる「東洋」の「焼肉」だ。今宵はご当地らしく炭を熾して、骨ごと切り出した トマホーク(Tomahawk)を豪快にBBQで戴くことにしよう。ちなみに焼きながら食べるのが焼肉、焼いてから食べるのがバーベキューなんだそうな。

投稿者: Taka

これまで百数十か国を訪れ、欧米7か国で20年暮らしてきた。メーカーに30数年勤め、縁あって今はハワイ在住。グローバルな生活から一転、ロコとして生きる。 座右の銘は、Life is a journey, not a destination. (人生は旅、その過程を楽しもうじゃないか)