オアフ島よりちょっと広い面積に10倍の人口が住み、かつては「東洋の小パリ」と呼ばれたホーチミンを訪れた。サイゴンと言った方が馴染みの諸兄もいるだろう。メコン河の支流が市内を蛇行し、無数のバイクはまるで滝のように流れる。ハワイで緩やかな時間に慣れた私には隔世の感がある。日の出とともに早朝から歩道にはバトミントンに興ずる老人たち、それを横目に屋台でPhoを啜る出勤前の青年たち、アオザイを来た女学生まで、街に人とバイクが溢れている光景は カオスと表現したらイメージが湧きやすいか。
ベトナムは市場経済化政策のもと外国資本を積極的に受け入れ、90年代から実質GDP成長率は10%を越え、それはかつて日本が経験した70年代の高度成長期と重なる。港の近くには工業地帯の煙突が建ち並び、農村部から都市部への集団就職や出稼ぎで人が溢れ、物価も給料も右肩上がりだったあの時代だ。ベトナム経済はパンデミックを挟んで現在でも5%以上の成長が続いている。そして同時に経済成長は化石燃料消費とCO2排出を著しく増大させた。それは1986年に経済改革「ドイ・モイ」が始まって以降、15倍以上というから凄まじい。
約30年前初めて訪れたベトナムは、人々は ラタニアの木の葉でできた「ノン」と呼ばれる伝統的な葉笠を被り、街は自転車で溢れていた。シクロは前二輪、後一輪の三輪車で、前方に乗客や荷物を乗せて車の間を縫うようにゆっくり動いていた。今と比べるとまるでスローモーションのような動きが懐かしい。 車やバイクも排ガス規制により4スト化や電動化が進み、格段に個々の車体はクリーンになったが、それを凌駕する数が靄がかかったように空を曇らす。
僕の幼少期、「光化学スモッグ注意報」が発令されると体育の授業は中止され、給食を食べたら下校措置となりガーゼのマスクをして家路を急いだものだ。半世紀を経て、ここベトナムでも同じ風景に心がざわつく。経済を優先することの代償がどれだけ大きなものか我々は知っている。電気の無かった時代へ戻れとは言うまい。せめて都会の空気が澄んでいることを願いたい。