ようやく終息したかに感じるコロナ騒ぎも2年半という長きに亙って、人々の動きを止めた。耳慣れない新しい言葉が次々と報道され、中でも「ソーシャル・ディスタンス」というのがあった。「社会的つながりから距離を置く」という本来の意味ではなく、「感染拡大を防ぐために相手との適切な距離を取る」と理解され、物理的に距離を空けることを意味した。確かに東京で暮らしていた時は、他人の息遣いさえ聞こえる通勤の電車内だったし、小さな会議室で長時間に及ぶミーティングも珍しいことではなかった。新幹線や飛行機に乗れば、隣りの人に遠慮しがちに肘掛けを使うことになり、普段から気を張っておかなければならなかった。その緊張が刺激となって活力と変われば良いが、多くはストレスを生むことになる。一方、ハワイの暮らしは無駄に広いと感じるほど、多くの場面で両手を広げても誰にも当たらない。東京では自分の空間だと思って居た車の中でさえ、今では籠の中の鳥だと感じるのだから不思議だ。
オアフ島では民間人の暮らす住宅街と基地の間に約2マイル(約3.2km)のBuffer zone(バッファーゾーン)という緩衝帯がある。有事の際、軍事施設は一次的な攻撃対象となり、その巻き添えとならないよう緩衝帯が設けられている。基地内の住居は、木陰が嬉しい樹齢100年近くのモンキーポッドを囲むように兵舎が点在し、隣家との間には塀が無い。およそ100フィート(約30メートル)向こうの隣家の窓越しに人影を感じる。これも延焼や類焼を防ぐ工夫なのだ。その兵舎に入居した際、「どこまでが私たちの庭として使えるのか」という問いに、「建屋の中だけ」と聞いて閉口した。「塀が無いのに安全か?」という問いには「無いからこそ安全だ」と互いの眼を信頼することを説かれた。一見、無駄に思えるこの距離こそが、なるほど大切だとわかってきた。
嵐が来ると電柱がよく折れる。その度に米海軍の部隊が手早く補修をしてくれる。コールタールを塗った昔ながらの木製の電柱を、コンクリート製や地下埋設に変える気は無いらしい。それどころか、折れた電柱を添え木にして一か所に二本立ちの電柱が多くなってきた。二本立ちは一本立ちより強度を増す。この場合、密接することが大事なのだという。
転じて、曖昧な空間を挟むことで衝突を和らげること、密接することで強い関係を築くこと、どうやら人間関係にも通じた距離感だと気づき始めた。