学生時代は片岡義男を文庫本で読んでいた。社会人になってからは宮本輝を単行本で読んでいた。読了後も何度となく手に取ると、その度に新たな気付きがあるので、いつまでたっても本棚の定位置に鎮座している。通学や通勤の帰路、本屋に立ち寄って立ち読みしていた時や図書館の古書の匂いも懐かしい。本というのは個人に帰属していて、あまり受け継がれたという話は聞かない。親父は相当な読書家だったが、僕はその蔵書に興味が無かった。全集や初版絶版ものなど、コレクター垂涎のものもあったらしいが、古書屋にお願いして引き取ってもらったことを覚えている。空になった本棚に残っていたブックエンドだけは、今も僕の書棚でその役目を果たしている。金属を型抜きしただけの簡素な造りだが、数々の名著を立てておくには欠かせない。これはまるで多くの出来事に区切りをつけるように、その役割を果たしている。
海外で仕事をするようになって多くの場面で契約書に署名をしてきた。中には事業譲渡や示談書への署名などその時々の立場で重要な書面にも接してきた。いつも同じ万年筆を使い、ブルーブラックとダークブラウンのインクを交互に補給してきた。こうすることで、インクの混じり具合が微妙に変わり、偽造防止にも一役買うと聞いたからだ。契約書というもの、ただの紙切れだがその絶大な効力を持つ。なんだかブックエンドの機能に通じるものがある
77年前、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリで、日本は連合軍に対して降伏文書を署名した。マッカーサー元帥が署名に使った万年筆が今も残る。ミズーリはその後、湾岸戦争まで就役し92年に退役、今は真珠湾に浮かぶ。その艦上からは、零式戦闘機が撃沈した戦艦アリゾナが今も海面下に沈んでいるのが見える。アメリカにとって、アリゾナの撃沈とミズーリでの署名式。この二隻を「第二次世界大戦のブックエンド」と称する。そして調印式のあった艦上は今も往時オリジナルのチークデッキに覆われている 。