およそ3か月振りの投稿となる。30数年勤めた会社を「オフグリッド」して、大学経営のフィールドに移籍、日本を離れハワイに移住した。これまでの転勤は会社の意思だったが、初めて自分の意思で環境を変えてみた。これまでの経験から最初の100日がその後の3年を決めると言っても過言ではない。できるだけその土地の言葉を介し、その土地の水を飲み、そして日本食を口にしない。いささかストイックともいえるが、ローカルに馴染み、そこで生活をするということは、まず新たな環境を自ら受け容れることが大事なのだ。住むということは「お客さん」ではなく、「住民」にならなくてはならない。もちろん、新参者としては先達の教えを請い、少々、理不尽だと思えることも先ずは試してみる。
ところが、此処、ハワイではマイノリティがマジョリティであるような独特の文化があり、言語も慣習も何もかもが多様性の中で培われてきたことに気付く。隣家の白人はリタイアとともにハワイにやってきて、今もレイカーズを愛し、大型テレビでドジャーズに釘付けで凡そ何処にいても彼のライフスタイルは変わらない。もう一軒の隣家の黒人は、ここ3か月で数回、言葉を交わしただけで、今日、引っ越していくという。アロハ・スピリットだと言って、多くの家具を無償で譲ってくれた。管制官である彼は軍民共用の航空管制を担い、ハワイにルーツを持つらしい。職場の大学では、サモア系の大男が学生寮を仕切り、フィリピン系のオバチャンが人事を担う。これまで住んだ多くの国と違い、本当に多民族で多様な人たちに囲まれ、「お手本」となるローカルが居ない。 「みんな好きに生きている」感じがするのだ。それだけに、自分を見失ってはいけないのだろう。
今日はアースデー。多くの住民が早朝からビーチクリーンに集まり、コミュニティから提供された朝食にありつく。そして夕暮れとともに同じ顔触れが再びビーチに集まり、ビール片手にアマチュアバンドの演奏に潮風が心地良い。曲はジャーニーのセパレート・ウェイズ(別々の道)。フラれた男の女々しい嘆きの歌とでも言おうか、懐かしい。誰かが、昔の女の話をしだした。