ヘミングウェイ考

先日、結婚記念日のお祝いに近所のホテルのBARへ出かけた。和食のレストランはインバウンド客で満員だったが、隣り合うBARで和食レストランのアラカルトメニューを注文できるそうで、このBARのカウンターに腰を降ろした。
10月中旬の沖縄は、まだ夏の陽気で、徒歩5分のホテルへ行くにも汗をかくほどで、まずは生ビールだ。海を背にしたカウンターで、つまみとビールを楽しんでいると、目の前の女性バーテンダーが各テーブルからの注文をされたカクテルを丁寧につくっていた。1杯目のビールを飲み終えるまでに、3~4杯の美しいカクテルができ上った。思えばここしばらく、カクテルと呼ばれる酒を呑んだ記憶がない。ビールを飲み終えると、女性バーテンダーに「仲のいいご夫妻なので”サイドカー”などいかがですか」と勧められるまま注文し、久しぶりに甘いカクテルを味わった。背後の大きなガラス窓からは、海の向こうの慶良間諸島に沈んだ夕日が残したマジックアワー、日本語だと薄明というらしい。つかの間の時間を愉しんだ。この時、ふと、若い頃によく読んだヘミングウェイを思い出した。

幼い頃から海が好きだったので「老人と海」や「海流の中の島々」など、ヘミングウェイの小説はほとんど読み、そこに描かれる南国の海やライフスタイルに感化されたものだ。そう、今はまさに夢を叶え、当時、理想としていたヘミングウェイのように南国の海沿いの小さな町で暮らしている。カクテルの種類やおおよその味はヘミングウェイから学んだようなものだ。そう気づくと居ても立っても居られず、翌日、地下倉庫に保存している古い文庫本の山を探り、ヘミングウェイを探した。東京を去る時に、読み返すかもしれない文庫本を雑多に選び、大半をブックオフへ送り出した。ヘミングウェイは沖縄行の箱に収まったはずだが、今回探しても3冊しか出てこなかった。それも上下巻の下巻、上中下巻の中巻、それと「老人と海」。早速、薄い「老人と海」を読み返すと、自分の年齢が上がっている分、当時と異なる感覚で読むことができた。きっと若い頃は海の様子や、釣りの感覚、鮫の暴挙など、文章の表面的な部分しか感じていなかった。今では老人の年の離れた友人(少年)への配慮や、年を重ね衰えた体力を補う経験や思考など、当時では感じられなかった文脈に響く。もちろんそこには文明の利器は登場しない。そんなものはなくても人間は幸せに生きることができるのだ。1961年に62年の生涯を自ら閉じたヘミングウェイ。第二次大戦を経験したことから、著書には戦争の無意味さを説く作品も多い。

混とんとする現代、人はこんなに便利になった世の中でもまた同じ過ちを繰り返そうとしている。温故知新。リスキリングを推奨し、老人を経済活動に参加させなければならない世の中はどうなんだろう。たくさんの経験を積んできた人たちに、古きよきものや間違えてきたことをきちんと若者に伝えてもらうような仕組みをつくった方が、よっぽど良い世の中になるような気がするのは僕だけだろうか。今の世界を俯瞰して、ヘミングウェイなら何を伝えようとするのだろうか。

投稿者: YUKI

株式会社saiブランド代表取締役。 30年前、オーストラリアで木橋に出会い、自然素材の可能性に魅せられる。 木橋やボードウォークの設計や、木製構造物の診断などを手掛けている。 2020年8月に本社を東京都墨田区から沖縄県糸満市名城に移転し、「オフグリッド」に事業として、ライフスタイルとして取り組んでいる。